会報 「菜の花ニュース」

菜の花ニュース
 (2011.9.3 発行) No.2

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●斉藤武一さん講演会「原発から子ども達の未来を守りたい」

 岩内町にお住まいの市民科学者でもある斉藤武一さん。33年もの間、泊原発の温排水が、海に与える影響を調べるために、1978年から毎日海水温を測り続けてきました。
 斉藤さんが代表を務める岩内原発問題研究会の発足は、1978年。そのころは、町内あげての反対運動がありました。しかし、1981年、漁協は反対から賛成へと変わり、急速に反対運動は少なくなっていきました。
 泊原発については、1988年、道民投票を求めて、899,820人(道内有権者数410万人)の署名を集めて、北海道に請求しましたが、当時の横路知事の玉虫色の回答・道議会でキャスティングボードを握っていた民政クラブ5人の道民投票反対票によって、私たちの請求は退けられました。
 そんな中で、多くの道民が虚脱感と北電の原発安全神話のすり込みの中で、反対運動から遠ざかっていきました。
 斉藤さんたちは、そのような状況になっても、息長く活動を続けてきました。「やさしい反原発ニュース」を'82年から新聞に折り込み(不定期)、質問状や抗議文を北電や北海道に何度も提出し、報告書を開催したり様々な活動を続けてきました。
 今回の「泊原発3号本運転再開差し止め訴訟」原告代表となっています。
 泊村は、道内で一番ガンの死亡率が高いことなど、明らかに放射能による被害が出ていることなど、詳しくお話ししてくださいます。(※講演は終わりました。動画が今までの活動・ビデオライブラリーのページ でご覧になれます)


●嶋橋美知子さんの講演会 ―原発労働者だった息子を白血病で亡くして

 8月22日夜は、こども冨貴堂の2Fで、嶋橋美智子さんの話を聞きました。嶋崎さんの息子さんは、浜岡原発の定期点検の仕事をし続けて、20年前に、白血病で亡くなり、労災認定を受けました。原子力発電所は、事故がなくても、定期点検や通常の仕事の中で、『被ばく』が発生しています。嶋崎さんは、自分の子どものような犠牲者をもうこれ以上出したくないという想いで、多くの人の前で話をしてきたそうです。
 始めは、息子さんの話を淡々とされていたのですが、福島事故の話になってからは『怒り』を隠さず、言葉があふれ続けました。特に、泊3号機の営業運転を認めた高橋知事に対しても強い憤りを訴えていました。
 先日、NHKの『AtoZ 福島第一原発 作業員に何が?』という番組を見ました。その中で、『やくざ』の人が、画面で「一人福島に送り込むと150万円のお金がもらえる。事故前は7万円だった」という話をしていました。『原発労働』では信じられないことが、当たり前に行われている。そして、その状況は、日本で原発が稼動しだしてから何も変わっていない。というより、原発の数が増えることで、どんどん増加しているとも言えます。
 今回の原発事故で、143人の作業員の所在が明らかになっていないと発表されていますが、そのほうが、都合が良い人たちがいるのだと思います。
 今回の嶋崎さんの話を聞くために、40人以上の人達が集まりました。その中で、「おじさんが原発で作業をしていて白血病でなくなった」「弟が高浜原発で働いて、先日亡くなった」という二人の方が来ていました。原発が原因だということを証明することが、いかに難しいか。ということを考えると一体どれだけの人達が、人知れず、そして、「しかたがない」という思いで、苦しんだり、なくなってきたことでしょう。
 福島で事故が起きた後、東京消防庁のレスキュー隊の人が、『英雄』という扱いで、テレビに引っ張りだこになっていました。放射能と戦うという意味では、同じような、あるいはそれ以上に危険な仕事をしている人達がいっぱいいるにも関わらず、彼らの情報は全く公表されることはありません。自分の仕事を誇りとして、原発の仕事に関わっている人も多くいると思います。
 でも、それが表の面だとすれば、原発の仕事には、必ず『裏』の表に出てはいけない仕事があるようです。そこには『お金』『隠蔽』『差別』『生命の危険』『あきらめ』がつきまといます。そんなことでしか維持できない技術っていったい何。と、思います。
 他のいろんな仕事と同じように『みんなが使う電気を作る』という仕事に、「誇り」と「安心」と「信頼」を取り戻さなくてはいけないと強く感じた夜でした。 (音次郎)


●「ヒバクシャ」上映会のアンケート

 鎌仲ひとみ監督「ヒバクシャ 世界の終わりに」は、フクシマを背負って生きなければならない私たちの今、これからを考えされられる映画でした。
マンハッタン計画、ハンフォード核施設、低線量被爆、体内被曝、放射能兵器、劣化ウラン、チェルノブイリ等によって、世界中にヒバクシャは広がっています。そして、様々な障害や病気を引き起こしています。北海道・東北では、乳ガン発生率がチェルノブイリ10年後に、10倍になったこと、放射能によって遺伝子が変異してしまうことなど、次々と映し出される映像に驚くばかりでした。100万人の人々がヒバクにより苦しんでいるともいわれています。
 アンケートの中から少しですが掲載させていただきます。

◆今の福島の状況も、アメリカのハンフォードの状況も同じ。フライドポテトとか、ハンバーガの肉のこと(注:ハンフォードのジャガイモや牛肉が日本に輸出されていること)、日本人はぜんぜん知らされていない。日本人はなかなか外にむかって行動しないといわれているが、もっと外に声を出して生きたい。(60代)

◆たちが大人になる頃、笑顔でこどもを育てているのかなあ。わたしたち大人のできることをコツコツとしていかなければ。(30代)

◆チェルノブイリの放射能が北海道・東北・日本海に届いていた可能性があることに驚きました。祖母は乳がんで死亡、自分自身も甲状腺がんを切除しています。周囲は関係ないと笑いますが、もしかしたら低線量ヒバクの可能性もあるかもしれません。(30代)

◆今私は何をしたらよいのでしょう?無力感と怒りとイラ立ちです。知らない事は本当におそろしい事。もっと手軽にビデオが手に入るといいと思います。北見の廃材受け入れ反対を何かの形で表したいですねえ。私は北見に電話を入れ、タマネギを買わないことをつげたいと思っています。(70代)

◆原爆の恐ろしさが身にしみました。45億年かかると聞いて気が遠くなるというか絶対に失くしていかないといけないことを痛感しました。後何年生きれるかわかりませんが、子、孫のため精一杯自分でできることからしてみたいです。(60代)

◆諦めてはいけない…と思いました。イラクの子ども達の瞳、アメリカのトムさん、肥田先生…私も諦めません。恐ろしい現実が、地球のあちこちにある、その事に目をそむたり、耳を覆っていては、いけない…と思いました。
 3月11日から100日が過ぎた今では、3月11日以前の日常がテレビ、新聞、ラジオからも感じられて、福島がうやむやにされそうで、イライラします。北海道に住んでいても福島の地元の新聞を読めたらいいナーと思います。(どことも癒着のない)
 大人にもですが、特に子供に原子力・放射能を学ぶ機会があったらと思います。(40代)


●私たちが思うこと = いま20代

◆3年前からテレビのない生活をしています。だから、今回地震が起こって、このような大惨事であったことを知ったのは、翌朝、新聞を見たときでした。大きな見出しと写真を見て、具合が悪くなりました。今回地震と原発の事故が起こって、わたしの中でがくんと変わってしまいました。原因になっていることは、わたしの中にもあると思いました。
 これまでは、政治で誰が何を言っているのか、メディアは何を取り上げて、何を取り上げないのかを、自分の身近な問題としてとらえることはありませんでした。新聞では見出ししか読んでいなかった欄も、今はできるかぎり目をこらして見るようにしています。ほんとうはどうなのか?「それらしいこと」に馴らされ、流されないために、自分の感覚をもっと鍛えなくてはいけないことが分かりました。
 それでも今あるわたしの口でそしゃくして、頭と心で思ったことを誰かに話すことはできます。「一人で考えて落ち込むような問題じゃないよ」と、今回の斉藤さんの講演会のチラシを持って回っているとき、ある人に言われました。難しい顔をしていたのだと思います。
 でも、わたしの普段の暮らしと隣り合わせに、恐ろしいことは起こり続けています。放射能汚染のことではありません。平和な暮らしはそれだけで成り立っていないことがはっきりした今、何を見て何を選んでいくのか問われているのですから。時には深刻な顔になりながら考えていきたいと思います。(安味郁子)

◆震災から4ヶ月が経った7月のはじまり。福島県いわき市に住む友人が誕生日を迎えた。
「なんとか無事に歳を迎えることが出来た」それが誕生日を迎えた彼の第一声。
友人の誕生日なのだからせめてお祝いをしたい。しかし、彼が住む福島のことを知れば知るほど、私はおめでとうの一言さえ声が詰まっていた。それでも言葉は尽くした。「ありがとう、大変なことがあったけれど君に会えたのが財産となった」彼の返信にはそう綴られていた。
 私は、悔しかった。ただ純粋に友人へ誕生日にお祝いをしたいだけなのに、なぜ言葉を失くし、言葉を尽くさなければならないのだろう?原発さえなければ。こんなに苦しいキモチにならなかったのに。
 原発はいらない。原発に友情をかき乱されたくない。だから、原発にはさよならを。友人には、また会おうを。(にしやま なつ)

◆泊3号機が営業運転を再開して、今、私たちが使っている電気に原発で作られた電気が含まれていると思うと心が痛みます。
  先日、浜岡原発で働いていた息子さんを年間7ミリシーベルトの被ばくにより白血病で亡くされた嶋橋さんというお母さんのお話を聞いたとき、原発で作業されている方々は、本当に過酷な状況の下で働かれていると知りました。
  原発で働いていることで被ばくをされて、嶋橋さんのように亡くなられた方の他にも、身体のだるさが酷くて働けなくなった人や歯が抜け落ちた人などたくさんの人がいるそうです。そういう様々な人たちがいて、初めて私たちが電気を使えるのだと思うと、部屋の電気がいつもより眩しく感じました。
  原発からは放射性物質が漏れだし、放射性廃棄物は増えていく。それを地中に埋めるのが国の方針だそうです。それでも放射性廃棄物からは放射性物質がずーっと出続けるのだそうです。
 安全に処理する術はまだないのです。二酸化炭素と違って、植物が酸素へと変えてくれるわけでもなく。安全に処理する術もないものを動かし続けるのは、もうやめにしませんか?
 福島第一原発の事故は、まだ終わっていません。どうしたら完全に収束するか、術を知らないからです。
 そしてまた「想定外」なことが起これば、同じことが他の原発でも起こるのですから。(はば みか)

◆生きてこそ。全ての生物はそう思いながら生きています。誰しもが、虫も、微生物も、毎日を生きています。
 けっして楽をする事が楽しく生きることではなく、考えたり、動いたり、おもいきり走ったり、笑ったり色々とする事で幸せがあると思うのです。そして、おいしいご飯をいっぱい食べて、ちゃんと眠る。今はそんな生活さえも難しいことが多いです。情報が錯綜していて、本当が分からなくなることが多いです。でも、ずっと困難を乗り越えてみんな生きてきました。
 今いる場所を見なおす。ちいさなことから。大きなことをするには時間はかかります。大地を正して、生き物を循環させて、一日一日をまっとうしていく。生きる事の基本ができる社会を、めざしていくことがこれからの希望となる。そう、感じるのです。
 人だけでない世界である事を、日々忘れないように。それぞれが、一日にありがとうを言える日常になるように。
“自然にふれるという終わりのないよろこびは、けっして科学者だけのものではありません。大地と海と空、そして、そこに住む驚きに満ちた生命の輝きのもとに身をおくすべての人が手に入れられるものなのです。”〜レイチェル・カーソン「センス・オブ・ワンダー」より(松村基子)

◆「原発について思うこと」
 これまで、あらゆる科学者・研究者たちが自然や人体に猛毒なものと訴えてきた歴史があるにもかかわらず…その 声や自分や、自分の大切なヒトたちにもいずれ放射能汚染の危険が迫ってくるかもしれぬという 自らの想像力を無視してまでも『原発』にこだわる国の偉いヒトたちの姿勢… それに抵抗することなく、誰かにまかせようとする空気感。これはいったいなんなんだろう。
  このまま 声を上げずに忘れ去ってしまおうものならば、『原発』というものは美しい人間の意志・自発性・感情までをもコントロールし、奪い去ってしまうような気がしてなりません。(はやし ゆみ)

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